伊豫稲荷 神社(愛媛県伊予市)神嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました 。

お知らせ

伊豫稲荷 神社(愛媛県伊予市)神嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました。

まつりの里では、毎年この神嘗祭に舞を奉納しています。

今年も昨年同様、愛媛の伊豫稲荷神社で奉納。
今年の舞手は、天地 美由起さん。三重県から来て頂き、無事に奉納できました。

神嘗祭とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天上の高天原で新嘗を食したという神話に由来する神事です。

その年の最初に収穫した稲穂「初穂」を天照大御神にお供えし、恵みに感謝を捧げるお祭りです。

新嘗祭には、天照大神と、もうお一人の神、豊受大神(とようけおおみかみ)が必ずワンセットになっています。

豊受大神は、お米をはじめ衣食住やエネルギーの恵みを与えてくださる食と産業の守護神とされていて、実はこの豊受大神、宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、稲荷神としても知られているのです。

まつりの里では6次産業での農業や神社との関わりがある為、

毎年感謝の意味を込めて、奉納をさせて頂きます。

舞: 天地 美由起
奉納: 日本まつりの里

三津 嚴島神社(愛媛県松山市)節分祭で日本まつりの里が舞を奉納しました 。

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三津 嚴島神社(愛媛県松山市)節分祭で日本まつりの里が舞を奉納しました。

奉納神社

三津 嚴島神社

1400年以上続く歴史

古墳時代
6世紀後半に現在の宗像大社の神様を勧請。

飛鳥時代 
700年頃に東山の地(今の古三津新屋敷方面)に神殿を新築。

奈良時代
神亀元年(724年)安芸の厳島の神を勧請。

平安時代 
天慶4年(941年)藤原純友を追討しに来た橘 遠保(たちばなのとおやす)河野 好方、野田 新藤次、社殿を修理し願文を納める。

鎌倉時代 
承久2年(1220年)伊予水軍の指揮者である河野通信が心願をこめる。

室町時代 
観応2年(1351年)足利尊氏が難を避けて三津に寄り、久万の水田2町5反を奉る。関ヶ原の戦いに乗じて起こった刈谷畑の戦にて社殿が消失し、慶長7年(1602年)に現在地へ奉遷。

江戸時代 
参勤交代の際に歴代松山藩主は当社にお参りして幣帛を奉った。道中の安全、藩内平和、武運長久の祈願をし、三津浜から船で江戸へと向かった。

御祭神

外難防御・道の神様

むなかたさんにしょしん
宗像三女神

いつきしまひめの みこと
○市杵島姫命

たぎつひめの みこと
○湍津姫命

たごりひめの みこと
○田心姫命

御祭神の宗像三女神は別の御名を「道主貴之神」(みちぬしのむちのかみ)と申し上げ、陸上・海上・航空の安全を守る外難防御の神様です。

「貴(むち)」とは最も高貴な神に贈られる尊称です。

伊予七福神霊場
明治4年に大国主命(おおくにぬしのみこと)

小彦名命(すくなひこなのみこと)

塩土神(しおづちのかみ)

崇徳天皇(航海守護、造船の神)

事代主命(ことしろぬしのみこと)

蛭子命(ひるこのみこと)
=恵比寿様 (商売繁盛、漁業の神)
保食神(うけもちのかみ 五穀の神)を合祀しています。

伊予七福神霊場
境内に鎮座する末社に伊予七福神の寿老神をお祀りしています。

舞: 瞑想舞(堀井香織、馬場由香里)
奉納: 日本まつりの里

大山祇神社(愛媛県今治市)新嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました 。

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大山祇神社(愛媛県今治市)新嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました。

「新嘗祭」は五穀豊穣を祈願した11月23日の「祈年祭」に相対するお祭りで、「抜穂祭」で刈り取られた初穂を神前に供え、神様の恵みに感謝する祭典です。この日、宮中では天皇陛下が天照大御神をはじめ神々に新穀を供えし、御自身もお召し上がりになります。

奉納神社: 日本総鎮守 大山祇神社
〈伊予国一の宮・旧国幣大社〉
  愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島である大三島に大山祇神社は鎮座しています。
  御祭神は大山積大神一座。天照大神の兄神に当たらせられます。古事記・日本書紀には「山の神」とあり、伊予国風土記には「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされています。
  神武天皇の御東征に先駆けて四国に渡った大山積大神の子孫である小千命がこの大三島に勧請鎮祭したと云われております。 天孫瓊瓊杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父に当たる大山積大神は、皇室第一の外戚として、また我が国建国の大神として、全国津々浦々にその御分社が奉斎されています。
御本社御祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)。
摂社【上津社-かみつやしろ】御祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)また姫神。
摂社【下津社-しもつやしろ】御祭神は高靇神(たかおかみのかみ)また姫神。
御本社と両摂社の三社を以て大山祇神社と崇めまつる信仰となっています。
舞:   瞑想舞 (堀井香織、馬場由香里)
奉納: 日本まつりの里

伊豫稲荷 神社(愛媛県伊予市)神嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました 。

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伊豫稲荷 神社(愛媛県伊予市)神嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました。

「神嘗祭」は、その年に収穫された新穀(初穂)を天照大神に奉げる五穀豊穣の感謝祭にあたります。同じく宮中祭祀のひとつで、天皇が天神地祇に収穫を感謝して自ら新穀を食す新嘗祭の約1か月前に行われます。

奉納神社: 伊豫稲荷神社
平安時代の初期に、山城国稲荷社(今の伏見稲荷大社)より稲荷大神を勧請してこの地へ祀ったとされます。
御社の西側には瀬戸内海が広がり、背後には御山があります。更にその東南には伏見稲荷大社の中社・上社に当る社跡が残っています。伏見稲荷大社の稲荷三ヶ峰と似た地形であることから、稲荷の神の鎮まりどころとしてこの地に祀られたと思われます。
伊豫国司の宰領のもとにある「山崎の保」という35町歩余りの保田(当社の今の氏子地域にほぼ匹敵する地域で)があり、平安後期に伊豫国司が山城国稲荷社の荘園( しょうえん)として朝廷に立券認可を得て「山崎の荘(やまさきのしょう)」と呼ばれました。
その後、ご鎮座以来、稲荷大神は河野家や大洲・新谷両藩主をはじめ、伊豫国の南予中予の国民たちに篤く御神徳を仰がれてきました。
 また、古くに神仏習合していた時代がありましたが、江戸時代初期の神主が「唯一神道」を主張したことにより、全国の神社より約220年も先駆けて「神仏分離」の形に戻ったという歴史があります。
 楼門は愛媛県の指定文化財。江戸時代初期に伊予名工・余土の治部(松山長右衛門)が手掛けて建立したと伝えられております。
重層入母屋造りの本瓦葺屋根、和様と唐様の折衷式、江戸時代初期の建築に見られる桜・唐草等の写実浮き彫り、全体的に桃山風に仕上げられています。
 江戸時代後期には、朝廷より「正一位」の御神位を賜り「正一位稲荷大明神」と称えられ益々栄え、明治時代に当社は郷社となり、昭和8年には県社に昇格しました。
 拝殿の右奥に赤鳥居が立ち並ぶ石段があり、その石段は久美社(金毛九尾狐霊をまつる)・命婦社(命婦の狐霊をまつる)」へと続きます。

このお社は境内でも特に霊気が溢れている、ご利益があるとされ、行者や霊感の鋭い方々をはじめ多くの方の信仰を集めています。

神社主祭神

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
邇々芸命(ににぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
菊理比売命(くくりひめのみこと)
大宮能売命(おおみやのめのみこと)

舞: 池田 美鳥

奉納: 日本まつりの里