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2021.10.17

伊豫稲荷 神社(愛媛県伊予市)神嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました 。

伊豫稲荷 神社(愛媛県伊予市)神嘗祭で日本まつりの里が舞を奉納しました。

「神嘗祭」は、その年に収穫された新穀(初穂)を天照大神に奉げる五穀豊穣の感謝祭にあたります。同じく宮中祭祀のひとつで、天皇が天神地祇に収穫を感謝して自ら新穀を食す新嘗祭の約1か月前に行われます。

奉納神社: 伊豫稲荷神社
平安時代の初期に、山城国稲荷社(今の伏見稲荷大社)より稲荷大神を勧請してこの地へ祀ったとされます。
御社の西側には瀬戸内海が広がり、背後には御山があります。更にその東南には伏見稲荷大社の中社・上社に当る社跡が残っています。伏見稲荷大社の稲荷三ヶ峰と似た地形であることから、稲荷の神の鎮まりどころとしてこの地に祀られたと思われます。
伊豫国司の宰領のもとにある「山崎の保」という35町歩余りの保田(当社の今の氏子地域にほぼ匹敵する地域で)があり、平安後期に伊豫国司が山城国稲荷社の荘園( しょうえん)として朝廷に立券認可を得て「山崎の荘(やまさきのしょう)」と呼ばれました。
その後、ご鎮座以来、稲荷大神は河野家や大洲・新谷両藩主をはじめ、伊豫国の南予中予の国民たちに篤く御神徳を仰がれてきました。
 また、古くに神仏習合していた時代がありましたが、江戸時代初期の神主が「唯一神道」を主張したことにより、全国の神社より約220年も先駆けて「神仏分離」の形に戻ったという歴史があります。
 楼門は愛媛県の指定文化財。江戸時代初期に伊予名工・余土の治部(松山長右衛門)が手掛けて建立したと伝えられております。
重層入母屋造りの本瓦葺屋根、和様と唐様の折衷式、江戸時代初期の建築に見られる桜・唐草等の写実浮き彫り、全体的に桃山風に仕上げられています。
 江戸時代後期には、朝廷より「正一位」の御神位を賜り「正一位稲荷大明神」と称えられ益々栄え、明治時代に当社は郷社となり、昭和8年には県社に昇格しました。
 拝殿の右奥に赤鳥居が立ち並ぶ石段があり、その石段は久美社(金毛九尾狐霊をまつる)・命婦社(命婦の狐霊をまつる)」へと続きます。

このお社は境内でも特に霊気が溢れている、ご利益があるとされ、行者や霊感の鋭い方々をはじめ多くの方の信仰を集めています。

神社主祭神

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
邇々芸命(ににぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
菊理比売命(くくりひめのみこと)
大宮能売命(おおみやのめのみこと)

舞: 池田 美鳥

奉納: 日本まつりの里